日本一早いマラソンレポート「第3回東西対抗東海道53次ウルトラマラソン」

東海道53次の距離は約500kmと言われています。その500kmのちょうど中間地点に位置にあるのが、浜松市と磐田市の間を流れる天竜川沿いにある六所神社です。その六所神社を目指して東西の猛者たちが競い合えば面白い。そんな思いから始まった大会があります。

第3回東西対抗東海道53次ウルトラマラソン

第1回は東軍2人・西軍1人、第2回は東軍1人・西軍1人、そして第2回と同じ参加者で開催された第3回大会。東西それぞれ1人ずつが250km先のゴールを目指して、東京日本橋と京都三条大橋をスタートします。

仕事の都合で東軍は1日だけ先行してスタートしましたので、完全に平等というスケジュールではありませんが、西軍の出口光選手はそれを快諾。出口選手はこの大会唯一の1回目からの参加者で、50kmの日本代表経験者でもあります。

東軍の立野匠選手が先行で走ったのは12月23日。午前7時に東京の日本橋をスタートしました。昨年は初日が約70kmの二宮まででしたので、今年の目標は小田原までの82kmです。

ウルトラマラソン経験者なら、82kmなんて簡単じゃないかと思うかもしれません。でもこの大会は交通規制も当然ありません。それ以前にそもそもコースがありません。東海道53次の宿場町にチェックポイントがあり、そこを通過すればどこを走っても構いません。

それぞれがGPS端末を持ち、その端末に反応して、共通に使っているWEBサイトのマップの宿場町マークがグレーからオレンジ色に変わります。このため、応援する人も、そのマップを見ればリアルタイムでどこにいるのかが分かります。

信号ではもちろん止まらなくてはいけませんし、コースも自分で決めないと遠回りをしたり、アップダウンが厳しい場所を走らなくてはいけなくなります。さらに23時から5時まではランニング禁止というルールもあります。

冬場の夜間走行はとても危険であるため、この大会の数少ないレギュレーションのひとつとして決められています。

このため、自分でその日の宿泊先を決めなくてはいけません。初日は7時スタートですが、翌日以降は5時スタートで23時まで走ってよく、最終日だけは17時で終了となります。

ちょうどいい場所に宿泊施設が見つかればいいのですが、そうでない場合は短めで切り上げるのか、無理して先に進むのかを自分で決めます。走力だけでなくマネージメント能力も問われます。

そんな中、1日で82km走るというのは決して簡単なことではありません。特に東軍はスタートからしばらくは信号が断続的に続きます。走っては止まってを繰り返すため、知らず知らずのうちに疲労がどんどん溜まっていきます。

50個の信号に2分止まると、それだけで100分も失ってしまうのも体力の消耗以上に選手を悩ませます。さらに日が沈むと気温がどんどん下がっていきます。それにしたがって体力も気力も失われていきます。

それでも立野選手は初日に小田原までを駆け抜けました。

12月29日午前7時。京都三条大橋に立っているのは西軍の出口光選手です。彼は3年連続3回目の出場ですが、過去の2回は3日での完走を達成し、3年連続優勝者でもあります。彼の眼差しの先にあるのは2日間での完走です。

これは彼が最初から公言していた目標でもあります。ところが実際に走ってみると、初日に120kmを走るというのは思った以上に難しく、2回とも3日での完走に切り替えざるを得ませんでした。

とはいえ今回は3回目の正直。彼の視野には120km先の桑名宿しかありません。

スタートから100kmウルトラマラソンで、上位争いをするようなペースで走り出します。13時には最大の難所である鈴鹿峠に入りたい。そんな彼の思惑通り、12時30分には鈴鹿峠へと吸い寄せられていきます。

ところがそこで待ち受けていたのは雪。この日はスタートの京都ですら雪が舞う気温。出口選手はここで足が攣ってしまいます。下りで一気に加速したいところで、無理をせずにスピードダウン。

それでも過去2年間の宿泊ポイントである四日市を越えてもまだ走り続けます。

そして初日にして120kmオーバーを記録し、桑名宿にまで到達します。このとき、SNSで彼を置い続ける誰の目にも2日での250kmが見えてきました。

2日目。とんでもない走りを見せたのは十分な休養を挟んだ西軍の立野選手でした。小田原からの箱根越え。決して簡単な山ではないのですが驚くようなペースで越えていきます。

出口選手の120kmに刺激を受けて「自分も3日で走り抜ける」そういう覚悟で彼は走っていました。ちなみに立野匠選手は昨年の大会を4日かけて走っています。出口選手は日本代表経験者ですが。立野匠選手はウルトラマラソンを走っているとはいえ、日本を代表するような記録は持っていません。

でも、やれるなら全力で挑み、あわよくば出口選手に勝ちたい。そんな思いから、2日目での大逆転を目指します。

一方の出口選手は、前日の快走からは想像できないような大失速。朝起きた段階で膝がおかしいことに気づきます。日の丸を背負うような選手でも1日で120kmをロードで走るのは至難の業だったのです。

消耗しきった彼を待ち受けていたのは膝痛でした。

このとき彼の脳裏に浮かんだのは、桑名宿から61km先の岡崎宿でのストップでした。それでも仕方がないと思うくらいの膝の状態でしたが、そんな彼を救ったのがfacebookでつながっていたラン仲間の応援でした。

facebook上だけではなく、実際にコースにまでやってきて、彼を応援してくれる人がいたことで、岡崎宿ではなく吉田宿を目指すことを出口選手は決意します。それはとても苦しくて辛い道のりです。でも男として岡崎宿で止まるわけにはいきません。

一方の東軍・立野選手は箱根を越えた後、股ズレに悩まされます。ウルトラマラソン経験者なら1度は苦しめられたことのある股ズレ。地味にマラソンの障害の中で一番苦しいケガかもしれません。

静岡の吉原宿手前で大失速をしたものの、そこで止まるという選択肢を捨てて、前へと進みます。4日間で完走なら富士駅周辺のホテルを選ぶというのが賢い大人の選ぶ道です。それでも彼は、前を目指しました。

東軍・立野選手は2日目に箱根を越えたにも関わらず、なんと80kmオーバーです。そして西軍の出口選手は苦しみながらも豊橋・吉田宿まで走りきりました。なんと2日間で200kmです。

3日目。

東軍・立野選手はゴールの六所神社まで85km。一方の西軍・出口選手は44km。明らかに西軍が有利ですが、出口選手は膝を故障してしまい、歩くのすら苦しい状態です。立野選手はまだまだ余裕はありますが、交通規制のない85kmは未知の領域です。

7時の時点で、静岡・府中を超えた東軍の立野選手。西軍の出口選手は膝を引きずりながらもゆっくりと距離を伸ばしていきます。快調に走る立野選手、諦めない出口選手。そこでに残り距離は関係ありません。

そこにあるのは2人のプライドでしかありません。

西軍の出口選手には残り15kmで、ウルトラマラソン仲間が並走をしてくれます。兵装というよりは、ほぼ見守り状態だったそうですが、そこにいてくれる安心感と申し訳ないという気持ちから、出口選手はスピードを可能な限り落とさずに走ります。

ゆっくりとそして無駄のない走りで、着実に前へ進みます。その走りが遠い道の先にいる立野選手にも影響を与えます。

そして最初にフィニッシュしたのは、大方の予想通りの西軍・出口選手でした。走るというよりはほぼあるきでしたが、3日目の15時34分、通算44時間34分で自身の持つ西軍記録を更新して1番にゴールしました。

それから送れること5時間。東軍の立野選手が49時間43分で、六所神社にたどり着きました。こちらも歩くことさえままならないのに、最後は走って六所神社の鳥居を駆け抜けました。

4日間で250kmのこのレース。なんと東西ともに3日間での完走を果たしました。

 

いいタイムでの要因として、2人とも「以前の経験が活きた」としています。何度も失敗をして、今回も悩み苦しみながらの戦い。その一つひとつが彼らの糧になって、過去の自分を追い越していきました。

冬に東海道を250kmを駆け抜ける。大会も超マイナー大会にも関わらず、自分を越えていくために2人が挑戦した第3回東西対抗東海道53次ウルトラマラソン。これは今後の挑戦者にとってもきっと走る意味のある大会になるはずです。

来年は参加者を増やすために12月29日〜1月1日開催の予定です。

年越しを東海道で行うのか、3日で終わらせてのんびり向かえられるのかはそれぞれの走力と知力次第ですが、来年は仕事納めをしてからそれぞれのスタート会場に向かえます。自分ならもっと上手に走れそう。そう思った人は、ぜひスケジュールに入れておいてください。

RUNNING STREET 365は東西対抗東海道53次ウルトラマラソンをサポートし続けますし、これを2日間で完走するランナーが出てくることをとても期待するとともに、特別ではないランナーが人生最大の挑戦として挑んでくれることを期待しています。

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