フルマラソン世界記録保持者エリウド・キプチョゲの「信じる心」

  • 2018.11.12
  • (更新日:2018.11.17)
  • コラム
フルマラソン世界記録保持者エリウド・キプチョゲの「信じる心」

ナイキ エリート ランニング キャンプ with キプチョゲが2018年11月10日に、駒澤大学多摩川キャンパスにて開催されました。

このイベントの目的は世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ選手と、そのコーチであるパトリック・サング氏から、世界で戦う上での考え方やノウハウを学ぶことにあり、トークセッションとトレーニングセッションの2部構成で行われました。

参加メンバーは駒澤大学、東洋大学、中央大学など大学陸上部所属の日本マラソン界の未来を担う選手たち、そして設楽悠太選手を始めとした国内トップの陸上選手が中心で、私たち市民ランナーには遠い存在です。

それでもすべてのランナーに通じる内容が多く含まれていましたので、RUNNING STREET 365でもその内容をレポートします。

特別な練習をするわけではない

最初のトークセッションで「世界一になるためにどのような練習をしているのか」という質問に対して、コーチのパトリック・サング氏の答えはとてもシンプルでした。

「他の選手と違う特別なことをしているわけではない」

エリウド・キプチョゲ選手は、パトリック・サング氏の指導を受けている他の選手と一緒にトレーニングを行っていますが、キプチョゲ選手だけが特別なトレーニングを受けているわけではないということでした。

練習の強度はそれぞれの力量によって変わるものの、練習メニューはみんな同じで、キプチョゲ選手が特別なことをしているから強いわけではないことを強調していました。ここで重要なのは選手ごとの力量に合わせているということです。

例えば、1200mを13本走るトレーニングがありますが、キプチョゲ選手はトラック1周400mを67〜68秒で走ります。これはキプチョゲ選手の設定タイムであり、他の選手の設定はまた別にあります。

選手は個々に特性が違いますし、疲労具合も違います。同じタイムで設定をすると、負荷不足になる選手とオーバーワークになる選手が出てきます。そこからケガにつながることもありますので、個々のスキルに合わせた設定を行うとのこと。

大事なのは決められた速度ではなく負荷の大きさ

キプチョゲ選手は、通常は1週間に200kmくらいの走行距離を走ります。1週間に1回のロング走と、2回のスピード走があり、残りの4日はアクティブリカバリーとして、負荷の軽いランニングを行います。

このアクティブリカバリーについては、後ほど詳しく説明しますが、ここで質問として「どれくらいのペースで走りますか?」というものがありました。これに関しては、ロング走もスピード走もジョグも含めて「人によって違う」という答えが返ってきました。

とてもあたり前のことなのですが、質問者はどうしてもペースが知りたかったのかと思いますが、具体的なタイムを聞き出そうとしていましたが、ここが日本の練習と世界の練習の違いなのかもしれません。

パトリック・サング氏はペースをそれほど重視していません。大事にしているのはどれくらいの負荷がかかっているかということで、それに関しては様々なアスリートモニターを使って計測し、適切な負荷になることを重視しているようでした。

例えば、ジョグの負荷は40〜50%くらいの軽いもので、キロ何分で走るかは選手の状態によって違うので、明確な数字を出すことはありませんでした。

そのペース設定を他のランナーが真似をしても意味がないことで、大事なのはそのときの目的に合わせて適切な負荷で走ることが大切。これは私たち市民ランナーにも言えることです。

例えば夏場は気温が高く心拍数が上がりやすいので、スピードを出して走るのは難しいのに、冬場の練習と同じようなペース設定で練習をしてしまうことがよくあります。その結果、疲労がたまりすぎて回復に時間がかかり、その後のトレーニングに影響が出てしまったことありますよね。

大事なのは負荷ですので、心拍数をモニタリングして、冬場と同じ負荷になるスピードで走ればいいのですが、日本ではペースを重視するケースが多く、過負荷でケガをするということがよくあります。

速くなるためのポイントは「回復」

「休むも練習」ほとんどのランナーが知っている言葉ですが、多くのランナーができていないのが、正しい休み方です。休むと不安になって、ついつい追い込んだ練習を連日するランナーも多く、そのほとんどがケガをして走れなくなります。

キプチョゲ選手は1週間に3回のポイント練習を行っています。この3回のポイント練習の間はアクティブリカバリーとして軽めのランニングを入れています。完全休養を入れないのは、ランナーは毎日走る必要があるという考えからくるのでしょう。

少なくともそれで世界最高記録を出しているのですから、キプチョゲ選手にとってはノーレストなのは問題ないようです。ただ、連日負荷の高い練習をすることはありません。ゆっくり走る日を入れることで、リフレッシュした状態で次のポイント練習を取り組みます。

ここで大事なポイントは2つあります。

1つはゆっくり走る日を間に挟むということですが、もうひとつは1度の練習で必要以上に追い込まないということです。市民ランナーにありがちなのが、1度の練習で追い込みすぎて、次のポイント練習時にまだ疲労が残っているというケース。

ここで無理にポイント練習をしても、効果は薄くなってしまいますし、回復するまで待っていたら、心肺能力などが必要以上に休むことになり、トータルでの練習の質が落ちてしまいます。

ですので、1回の練習では中1日もしくは中2日で回復できる負荷しかかけないというクレバーな考え方が求められます。いつも全力でトレーニングに取り組んでいたのでは、いずれ壊れるか、結果のでない練習を繰り返すことになります。

エリウド・キプチョゲが伝えた2つの言葉

このイベントではトレーニングの考え方などが中心でしたので、コーチのパトリック・サング氏が回答することが多かったのですが、その中でもエリウド・キプチョゲ選手は2つの重要な言葉を伝えてくれました。

「勝つことが重要なのではない。勝つための準備が大事」

マラソンはスタートラインに立ったときに、すでに結果は決まっていると言われるスポーツです。他の競技のようなひらめきが役立つシーンはほとんどありませんし、練習以上の成果が突然出ることもありません。

自分でレースの目標を決め、その目標を達成できるような練習プランを立てて、しっかりと準備をすれば、結果は自ずとついてくる。むしろ、それ以外にするべきことがあるわけではなく、レースになればあとは冷静に任務を遂行するだけです。

市民ランナーの多くは平日には仕事があり、思うように練習ができないという人もいますが、大事なのはやはり練習です。練習なくして過去の自分を超えていくことはできません。一時的に結果は出るかもしれませんが、それが長く続くことはありません。

もし本気で過去の自分を超えていきたいなら、満足できるレースをしたいのであれば、しっかり準備をしてスタートラインに立ちましょう。

「自分を信じること、コーチのプログラムを信じること、正しい生活を送ること」

もう一つの言葉は「信じる心」の大切さを説いています。まず、自分自身がきちんと目標を達成できる人間であることを信じるということ。自分で自分を信じられなくては何事も成し遂げられることはありません。

そして、コーチのプログラムを信じることというのが市民ランナーでは難しいかもしれませんが、もしランニングクラブなどで練習を見てもらっているのであれば、そのコーチを信じることが大切です。

エリウド・キプチョゲ選手は18歳からパトリック・サング氏の指導を受けていますが、練習内容について1度も「なぜこの練習が必要なのか」と聞いてきたことがないそうです。これ以上の信頼関係はありません。

自分で考えることも大事かもしれませんが、人間は万能ではありません。結果を出したいなら、それに適した人の協力を仰ぎ、そしてお願いした以上は100%の信頼で任せるという考え方。これがキプチョゲ選手の強さの秘密でもあります。

そして、やはり大事なのは正しい生活を送ることです。しっかりとした回復のためには睡眠時間は大事ですし、栄養バランスを考えた食事も重要です。結果を出したいなら不摂生は避けなくてはいけません。

自分への甘さとも決別する必要があります。

市民ランナーにそこまでのストイックさが必要かどうかは、ランナーによって考え方が違いますが、速くなるというのはそういうことです。これをきちんとやり遂げられるかどうか。そこが強いランナーと弱いランナーの分かれ道でもあります。

信じる心があれば誰でも自分を超えていける

今回のイベントを通じて感じたことは、エリウド・キプチョゲ選手は特別な存在ではあるものの、生まれ持った才能だけで世界記録を更新したわけではないということです。

天賦の才能に加えて、とにかく信じることを大切にして、トレーニングを積み重ねてきた結果が、かつて誰も到達できなかった2時間1分台という大記録でした。彼が信じたのは、自分自身とコーチであるパトリック・サング氏、そして走りをサポートしてくれるナイキのシューズ。

世の中ではナイキのランニングシューズにばかり注目が集まっていますが、走っているのはシューズではなくキプチョゲ選手です。同じシューズは多くの選手が履いていますが、2時間1分台で走れたのは彼だけです。

世界で戦う上でナイキのヴェイパーフライがマストなのは、もはや疑う余地はどこにもありません。でも、世界記録のペースで走れたのは、エリウド・キプチョゲ選手がヴェイパーフライを誰よりも信じていたということにあります。

1%も疑うこともなく完全に信じること。

その姿勢があれば、天賦の才能に恵まれなかったランナーだって、過去の自分を超えていくのは難しいことではありません。迷うことなく「これでいいのだ」と信じて前に進むことが大事だとキプチョゲ選手は教えてくれます。

自分の可能性や、自分のやり方を信じること
サポートをしてくれる人を信じること
そして、最後まで足を支えてくれるシューズを信じること

その3つの信じる心が、すべてのランナーをひとつ上のレベルに引き上げてくれます。もし自分の走りで伸び悩んでいるのであれば、小手先のテクニックでなんとかしようとするのではなく、まずは心のあり方から整えるといいかもしれません。

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